--- 簡単な解説 --- (函館戦争の流れから新撰組 土方歳三を追う!)

【松前藩福山城攻略】

五稜郭を占領した旧幕府軍は、翌日、土方歳三を総督とした700名で松前城攻略に出陣。

松前藩は、明治新政府軍側の拠点。

松前は、仙台以北、最も栄えた町であり日本最北であり最期の和式築城の天守閣を持つ松前城(福山城)がありました。

旧幕府軍は、土方歳三の総指揮のもと松前に進軍し、これを攻め落とし蝦夷地を平定することとなります。



松前城
松前藩
「天守閣のある福山城」

函館歴史 新撰組土方歳三
名所 Vol.03

新撰組土方歳三進軍ルート
松前・江差 福山城攻略


海岸線沿いが土方歳三の進攻ルート
その後、江差に進攻して、熊石まで追撃します。
(内陸コースが松岡隊の進攻ルート)

土方歳三は、江差まで行き、守備隊を残して箱館(函館)に帰還。

---真冬の攻城戦---

北海道の冬は寒さも大敵。兵士らは足に油紙をいれていたとのことです。

旗艦「開陽」 座礁


麦叢録附図
- 市立函館図書館蔵 -

開陽一隻で津軽海峡の制海権を握れると言われたが江差沖で座礁。今後の政策に大きな影響を及ぼすことになります。

松前藩屋敷の様子

江戸時代に栄えた松前の松前藩の藩邸、商家などが町を形成してる観光名所です。
整備されていますし、のんびりした雰囲気に好感。
松前藩屋敷の詳しいご紹介

宇都宮攻城戦以来、土方歳三は、新撰組という部隊の長にとどままず、一軍を率いる司令官として
成長していたのでした。

松前福山城・江差進攻

旧幕府軍は松前藩に降伏を促すが、これを拒否されて函館占領の2日後に松前に向けて進攻します。

この進攻も二手に分かれて進攻します。
今回の指揮をとったのが土方歳三です。

もう、一方は松岡四郎次郎で中山峠を超え「館城」攻略に向いました。

指揮官としての土方歳三 部隊編成

仕官隊、彰義隊、遊撃隊、陸軍隊、衝鋒隊、額兵隊、工兵隊からなる約700名の部隊です。

松前福山城と松前

蝦夷地には、北方警備のために東北諸藩に分領され、箱館周辺には、その元陣屋がありました。
松前藩だけは、元々蝦夷地を領し松前に城下を構えていました。
松前藩がある限り、新政府軍の反撃拠点となるので、どうしても陥落させておかなければいけない要所でした。

また、福山城は、来航する異国船に備え、三の丸に7座の砲台を設けた日本最北の和式築城の城です。そして、松前自体も仙台以北の最大の街でした。
松前城の最大の見所は、本丸ではなく、現在、発掘中の三の丸というのがプロの見解です。

松前進攻

箱館から松前に向う途中の知内で松前藩の夜襲にあいます。その後、福島村での戦闘ののち、松前福山城下へ。

元来は背後の山を利用した堅牢な構えの城郭でしたが、異国船に大砲がない時代なら、ろう城することもできたと思いますが、城の防備の規模が小さいことや武器の進歩により、ろう城戦には、持ち込むことができなかったようです。

徹底抗戦の構えを見せた松前藩でしたが、戦闘は数時間で終わり、松前藩は城下に火をつけて江差へ退却。

このとき海から、味方の蟠龍、回天などの艦船からの援護射撃もありました。

11月15日 松前福山城を制圧
(箱館占領1週間後に松前も占領)

新撰組土方歳三が総指揮で落とした城だから行く価値は十分あると思います。さらには日本最北、且つ最期の和式築城の城となると見る価値は十分あります。

また、函館-松前-江差間は、ドライブ向きの景色のきれいな海岸線を走ることになります。
松前には、松前城、松前藩屋敷が主な見所、函館から1時間50分。松前-江差間は約40分。江差には、旧幕府軍の最強の軍艦「開陽」の復元施設があります。

蝦夷共和国宣言より

函館旅行が1泊2日なら時間的には厳しいと思います。車での移動時間が長いですが、北海道の風景を楽しみながらドライブできるのでおすすめです。

このページの今後のアップ予定

・松前城からの土方歳三の足取り
・松前での土方歳三について
・松前城の3の丸にスポットをあてたご紹介
・松前進軍の途中で戦闘のあった福島町、知内の詳細
・館城のご紹介(準備中)

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