歴史ファンには、時間があれば見てもらい場所かも?(函館からかなり遠いけど。)
個人的には、箱館戦争後に作られた数多くの碑を見るより、新撰組土方歳三が実際に戦った場所を見て欲しいと思います。
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新撰組土方歳三らが北海道に上陸して5ヶ月、4月9日ついに新政府軍が北海道に軍を送ってきた。
新政府軍あらわる
雪が融けると同時に新政府軍がやってきた。新政府軍は、江差から近い日本海の乙部村に上陸。兵約2,000名。江差街道を進み函館を目指す。
乙部村
守備兵約30名は、圧倒的な兵力差によって殲滅、江差の守備隊約250名は、艦砲射撃で殲滅。
土方歳三は、兵約300名を率いて「二股口」へ出陣
大鳥圭介は、兵約500名を率いて「木古内」へ出陣
戦闘 1869年 4月13日〜4月29日
「麦叢録」によれば13日の戦闘は、16時間におよび土方歳三の函館政府軍だけで3万5千発の銃弾を撃ったとされています。
そして、土方歳三率いる函館軍は、新政府軍にほぼ全滅に近い打撃を与えた。
その後、十数日間にわたり攻められますが、すべてこれを撃退。しかし、津軽海峡沿いの大鳥圭介の守る木古内が落ち、且つ二股-函館間の通路にあたる矢不来の陣地が落ちたため、敵に背後を衝かれたり、孤立する恐れがでたため撤退を余儀なくされました。
これによって函館軍は、函館市内での戦闘を余儀なくされることになります。
蝦夷共和国宣言より
江差街道には、館城、松前藩番小屋、新政府軍の本陣の跡、台場、無名戦死者の墓など多数の史跡があります。
ただ、見る価値があるかは、あなたの専門性によります。私自身は館城以外はつまらない感じがしました。史跡を求めて山に入りすぎると熊が出ますし、ちょっと不気味な感じさえする場所も多いです。
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