各々の思想、生き様、ポリシーなどが混在した函館政府軍ではありますが、共に北海道に来た約半数近くの兵士の戦死者を出しながら幹部のほとんどが生き残るという現代でも考えられない終わり方をしています。
幹部で戦死したのは、新撰組土方歳三と千代ヶ岡陣屋守備隊長の中島三郎助。
函館戦争終結
函館総攻撃が5月11日。函館政府軍は敗走。残された砦は「五稜郭」、「弁天岬台場」、「千代ヶ岡陣屋」でその後3日間降伏勧告が行われました。
5月15日 新撰組下級隊士が多く守備する弁天岬台場がまず降伏。
5月16日 降伏勧告を退け続けた千代ヶ岡陣屋が攻め落とされる。
5月18日
五稜郭開城。
函館政府軍の幹部6名は東京で入獄しましたが、他の兵士は青森に護送され入獄。そして彼らが獄中で描いた絵図が非常に重要な資料となっています。
蝦夷錦、 麦叢録附図、函館戦争図絵、戦友姿絵など。
-- 総裁 榎本武揚のその後 --
榎本武揚は東京で入獄し4年後の明治5年に特赦で出獄。
その後、榎本武揚は海軍大将、文部大臣などの要職につくまでになりました。
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陸軍奉行 大鳥圭介のその後 --
大鳥圭介も東京で入獄、これも明治5年に特赦で出獄。
清国の特命全権大使、枢密顧問となり男爵にまで上りつめました。
蝦夷共和国宣言より
歴史の流れを知り函館観光名所を見て歩くとその史跡の重要性、面白みがまします。
ただ五稜郭公園を歩いても単なる石垣と土塁、堀でしかありません。
遠くからせっかく北海道に行くなら多少勉強するのもいいかもいしれません。
皆様の歴史函館旅行が楽しいものになるように応援いたします。
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