【四稜郭築城】
4月9日、乙部に新政府軍の第一陣が上陸したときに急造。
四稜郭は、士卒100人、近隣の村人200人で昼夜を通しての作業で数日で完成させたと言われています。
【四稜郭の戦闘】
新政府軍の総攻撃の5月11日に四稜郭でも戦闘がありました。しかし、四稜郭と五稜郭を結ぶ線上にあった権現台場が落とされてしまい、四稜郭が孤立する恐れが出てきたため、数時間の戦闘で撤退してしまいます。
【権現台場】
四稜郭は、五稜郭の背後を強固にするために造られましたが、お互いが孤立しないよう、その間に台場を構築しました。それが、東照宮にあった権現台場です。
現在は、鳥居だけしかありません。
【東照宮】
現在の東照宮は、四稜郭よりさらに北東(山側)に行ったところに移りました。当時の銃弾の傷跡が残る手水鉢があります。